一家心中の危機!人生で一番つらかったこと

人生では色々つらいことが起こるものだが、その中でも特に辛かったこととして、

小学校6年生の時に体験した出来事を漫画で描いてみました。

人生で一番つらかったこと一家心中の危機タイトル

小学生の高学年の頃のこと、僕は塾帰り、畑の真ん中にある、自宅の明かりが見えてくると

いつも心がざわつくようになっていた。
塾帰り家の明かりが見えてくる

今日は大丈夫かな・・・家の明かりが見えてくるとそう思った。

その当時、母と祖父母、とくに祖父とのいざこざが良く起こっていた。

嫁、姑問題ってやつだった。

さらにそこに近くに住む父の妹つまり小姑、

さらにさらに外で長男の嫁の悪口を言って回る次男の嫁もいて

色々とやっかいなことになっていて。

嫁、姑(私の祖父)でよくトラブルになっていた理由はこうだ。

母は、きれい好きで、衛生観念の強い人だった。

それと反対に昔からずっと農家を続けていてあまり外と家の中との区別をつけず

明治時代の農家の土間のある生活習慣のまま暮らしていた祖父、

泥だらけでも平気で家へ上がり、手を洗って拭いたタオルはすぐ泥だけ、

足は拭いたあがるが、やはり泥は落ちていつも床は汚れていた。

風呂も二日に一度というのが習慣だった。

まとまとも同居する前から、あまり嫁、姑の関係はよくはなかったが、

同居するようになってからは、気の強い母と、昔ながらの家長絶対主義の祖父のいざこざは

しょっちゅうあって、トラブルが起きた時は、家の中がどんよりと暗かった。

僕は、塾に行っている間に、帰ったときに家の中の雰囲気が悪くなっていることを恐れていた

いつも家の明かりが見えてくると僕はそういう不安に駆られたのだ。

まだ家にいるときに起きたのであれば、理由も過程もわかるので心の準備ができた。

しかし塾から帰って課程もわからずただそうなっている事が、とても嫌だったのだ。

玄関前で祈る
僕は、玄関のドアを開ける前にいつも心の中で祈った

どうか家の中でトラブルが起きていませんように」と心の中で手を合わせる

それが週3日塾のある日の僕の日課になっていた。

だから開き戸をあけるときは、結構勇気が必要だった。

その夕刻の課程の雰囲気しだいで、夜から翌日の朝までとても嫌な気持ちになる。

そのまま翌朝学校にその暗い気持ちを引きずったまま登校することになるのだ。
暗い雰囲気の家
それひ小学性の僕にはとても心がざわつくものだった。

逆に家族が普通に夕食が食べられている様子をみると、とてもほっとした

「ああ、今日は平和だ・・・」そう思うのだ。
一家だんらんの夕食

こんな日々が小学四年から六年ぐらいまで続いたある日のこと、

確かある秋の日の日曜日ことだった。

妹の泣き声と、母のヒステリックな校で僕は目が覚めた。
夫婦げんか
飛び起きて、両親の部屋に行ってみると、

大声を上げて父を罵る母と、それを黙って押さえつける父親がいた。

角の方では「やめてやめて」と泣きじゃくる6歳したの妹がいた。

僕は、何が何だか分からずしばらくは呆然としていた。

その声は祖父母にも聞こえていたが、祖父母達は触らぬ神になんとやらで、

止めようとすることはなかった。

しばらくして、僕はようやく何が起きているのか分かった、

母やが癇癪を起こして、離婚して実家に帰ると騒いだのを

父親が必死に出て行かせまいと押さえつけていたようだ。

そのドタバタは数時間は続いたが、やがて父が、

車で送っていくからと説得して、その場は収まったかたちになった。

実家に帰るという母
実家に帰ると言っても、本州ではないから、関東からは車でいったら

12時間ぐらいかかる工程である、それでも何度かカーフェリーを使って

夏休みに家族で行ったことがあったので、父が本気で行く気なのだと思っていた。

しかし、途中で東名高速をそれ、伊豆半島の方への車が向かった。

どうも父は、以前なんどか家族旅行に出かけた伊豆を目指していたようだった。

まだ祖父母と同居する前の、楽しい家族旅行の思い出のある場所

みんなを連れて行って、母親の気持ちをなだめようと考えていたようだ。
しばらくはおとなしくしていた車の中で母
しかし、母親はそれに気づいて騒ぎ出した

「道が違う」「どこへ向かってるんだ」「車を止めろ!」「降ろせ!」

と大声で騒ぎ出し、「しまいには止めないとドア開けて飛び降りるぞ!」と

車のドアを開けようとしたので、父もさすがに車を止めざる終えなかった。

車を出で駅に向かおうとする母
母は親は、車を降りて歩道を歩き出した。

近くに駅は見当たらなかったが、駅に向かうつもりだったのかもしれない。

父はしばらく車を止めては、歩道を歩く母についていったが、

母親が細い路地に入って車では追いかけられなくなった。

しばらくは、呆然としていたが、やがて車を動かした。

心中しようと言い出した父親
「もうだめだ。みんなでこのまま海に飛び込もう」

父親が恐ろしい言葉をつぶやいて、僕はぎょっとした。

妹はまだ5歳ぐらいで意味も良く分かっておらず、

また疲れてぐったりとしていた。

僕はマサカ本当にそんな事はしないだろうと思っていたが、

やがて父は漁港の岸壁に車をとめた
岸壁に車をとめた
僕は、その時手足が震える思いだった。

心底ヤバいと思った。

この人は本当にやるかもしれない、そう感じた。

妹はまだ園児、僕は小学生、これで僕らの人生は終わるのか、寒気がした。

脳裏に浮かんだのは、海中に沈んでいく、自分と妹の姿だった。
一家心中で車ごと海中に沈む一家

「いや、冗談じゃない!死にたくない」

そうおもった僕は必死に父親の説得を試みた。

後で迎えに行けばいいよ」「今はそっとしといたほうがいいよ」

「今は仕方がないから帰ろう」
心中しようという父親を説得
今となってはよく覚えていないのだが、死にたくない一心で必死だった

その後多分父親をなんとか説得できたのだと思う。

実はその後の記憶がとても不鮮明なのだが、

ふと我に返ったときは自分の部屋のベットに座っていた自分に気づいた。
気づいたときは自分の部屋に居た
実は母親も家に居たはずだ。

よくよく思い出して、今は離婚している母親に聞くと、

あの後道に迷ってとぼとぼと歩いている母親を見つけて、

近くの旅館に宿泊して、翌日家に帰ったらしい。

だが僕はその辺の記憶が少しとんでいるとようだ。

それほど命の危機を感じて居たのかもしれない。

ただ、家に帰ってきた直後の母親のある言葉は覚えている。

父親も妹も、自分が離婚することを必死に止めてくれたのに

息子の僕は止めようともせず、母親にすがろうともせず、

悲しかったから、帰るのを止めたと言ったことだ。
あきれた母親の言い草
僕はその時、凄く憤慨した事を覚えて居る。

「ふざけるな!人の気持ちを確かめたとでも言うのか!」

「こっちは死ぬ思いで、必死だったというのに!」

そして僕は、凄く冷めた子供になった。

親に愛情を感じなくなったし、別に親が離婚しようがどうしようが、

親とか家族とかどうでもいいや、と言う感情になったのだ。

家族なんてうっとうしいだけ、家事だけやってくれる人がいれば十分だ。

そういう子供になってしまった。

もちろんそれば自分の家族を持つまでの事ではあるが。

そして、こんな家だったから、この後もたくさん辛いことはあった。

だがそればまた次の機会に話したいと思います。

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